珍しい白い彼岸花です。お花の写真は患者さんが毎週お散歩の途中で見つけたお花を撮って送って下さいます。ありがたいことに!季節になると不思議とその季節の花が咲くのですよね。
「量子論から科学する見えない心の世界」岸根卓郎著より
人は何かを理解しようとするとき必ずそれを二つに分けて対立させて考える。すなわち「分別」して考える。・・・そこから「分かる」(理解する)という言葉が生まれたとされている。事実、人は「混沌」したものを「そのまま理解する」ことはできない。・・・
ところが古代中国の思想家荘子は、そのような分別手段こそが、自然(物事)の「ありのままの姿」を損なうことになると説いた。
ちなみにそのことを「あそこ」と「ここ」についていえば、「ここ」とは現在の自分の居場所であり、「あそこ」とは現在の自分の居場所から離れた場所のことである。しかしもし自分が移動すれば、いままでの「ここ」が「あそこ」になり、「あそこ」が「ここ」になる。つまり本来、一つであるべき場所が、人の「分別」という「恣意」(差別)によって「ここ」ともなれば「あそこ」ともなる。しかし絶対的空間では、本来「ここ」も「あそこ」もないはずである。荘子は「人が分別という差別を捨て去るとき、はじめて本当の自然をみることができる」と説いた。
なるほど!と思いました。