先日、ずっとお目にかかりたいと思っておりました物理学者の保江邦夫先生のお話を伺うことができました!
とっても面白かったのでご報告しますね。
先生は湯川秀樹先生の最後のお弟子さんです。
テーマは「上手な死に方」
「死ぬ」ということは唯物論では何もなくなることです。
でも本当にそうでしょうか?
先生はビールを例えにしてお話してくださいました。
素領域といって電子や光子などの素粒子が入っている(または入っていない)部分をビールの泡にたとえます。
その泡と泡の間を細かく見ていったら空間がある。ビールの液体にたとえます。
つまり両者は折り重なって存在しています。
現在の物理学は素粒子、つまり泡の中だけ追いかけているのだそうです。
素粒子は泡から泡へと飛び移るのだそうです。
見える部分は泡の中にしかないのです。
そのすぐ外側に見えない世界が広がっていると先生はおっしゃいます。
言葉を変えれば、ビールの泡がこの世で、液体部分があの世。
液体部分にたくさんの魂が存在していて、生まれる時魂に肉体が入るのだそうです。
(私は肉体に魂が入るイメージでした)
死ぬときは魂が離れ、生命活動が維持できなくなるということです。
でも魂は自由に過去にも未来にも行けるようです。
時々、水分の多い所では、少し形になって現れたりして見えたりするようですね。
ビールでイメージが付きにくかったら、伊勢の名物、赤福
お餅が見える肉体で、あんこが魂。
すぐそばにあの世があるわけです。
でも物理学の対象が泡の中だけ、お餅だけだからそばにあるのに捉えられないわけです。
この続きはまた次回。(これはあくまでも私が聴いて解釈した内容です)
(写真は亀戸天神。患者さんが送って下さいました!)