(出雲大社の空 By H.H)
子供を諦め、鬱の治療を再開して3年が過ぎた2015年2月。発熱のため検査を受けた主人から「肺がんだった…」と電話が。あれだけ定期検診を繰り返していたのに、肺の検査だけある時から受けていなかったのです。
後日主人に付き添い担当医の元へ。長い沈黙の後主人は「僕はあとどれくらい生きられますか?」と主治医に尋ねたところ「半年です」とのあまりにも希望のない答えが…。それから抗がん剤を始めるまでの1ヶ月間、主人はできる限り自分の足で歩くと言い、いつものように出かけ、いつものように帰宅。
家でじっとしているには「カウントダウン」の恐怖は耐え難いものだったのでしょう。
一方抗がん剤に否定的だった私は、代替療法で主人を救おうとネットで片っ端からがん治療の情報を集め、西洋医学一辺倒の主人の留守を見計らってアメリカから来日していたヒーラーのカウンセリングへ行き、黙って相談したことに「余計なことするな!」と叱られたものの「元看護師のヒーラーで、本人が決めた治療が一番効果があると言われた。だからあなたの決めた治療を全面的に応援する」と告げると、お互い気を遣いすぎでカチコチになっていた心も軽くなり、3月から抗がん剤治療開始。
主人の希望で投与中も隣座し治療室で時間を過ごしましたが、私の具合も悪くなってしまい、院内の救急センターで寝かせて貰ったこともありました。
こうして通院による投与と自宅での看病が続いたのですが痛み止めもどんどん効かなくなり、とうとう5月半ば入院となりました。
それからは痛みを緩和するモルヒネが増えて行くと同時に主人は支離滅裂なことを口にするようになり、やがて話す事すらなくなり眠り続ける主人のベッドの中に私の両足を忍ばせ、主人の体温を感じながら二人に残された僅かな時間を過ごしました。
間もなく緩和病棟へ移動が決まりしたが、移ったその日の晩に主人は全ての痛み痛みから解放され、天国へと旅立ちました。
(つづく)