自然療法研究所付属 八王子漢方クリニック

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気診体験記

デミのがん体験記 (2)「鬱~顎関節症、尿管結石、父の認知症…続々発症!」

(岐阜県高山市の空 By H.H)

年明け2011年の3月、肺嚢種で緊急入院していた主人の病院へ向かおうとした矢先、あの「東日本大震災」が起きたのです。
マンションの11階の揺れは凄まじく「あ~私は一人でここで死ぬんだ」と覚悟したほどの孤独感と恐怖でした。
20時過ぎ、ようやく主人と電話がつながり安否を訪ねると「ベッドが部屋中動き回った!やっと出たご飯がお新香と塩結びだけだったけど、今まで食べた中で一番おいしかった!」との声に安堵し、思わず私も笑顔に。そう、笑顔といえば「顎揺(・・)る(・)マッサージ(・・・・・)」。
退院しても主人は相変わらずの通院生活。

この頃の私は顎を緩めるどころか、日々必死に噛みしめ続け、顎関節症を発症したのでした。
そんな8月のとある朝、私は得も言われぬ激痛と血尿でのたうち回っていましたが、自身も経験があった主人は「尿管結石だ、病院に行けば大丈夫」と私を残し、定期検診のため病院へ行ってしまいました。私は激痛をこらえ一人で病院へ。
帰宅した私は、定期検診を優先させ私を置き去りにした主人に腹を立て寝室に鍵をかけ立てこもりました。がんサバイバーにとっての定期検診がどれほど大切なものか、このときは理解も出来なかったのです。

やがて季節は秋へ変わり、私の鬱も軽くなり一旦薬を終了しますが、実家で一人暮らしをしていた父が認知症を発症。症状は坂道を下るように進んでいきました。親の認知症は家族にとって辛いものですが、ほんとに辛いのは本人です。昨日出来たことが今日できない。メモを書いても書いても忘れる…。とうとう父は「老人ホームを探してくれ…」と初めて助けを求めてきたのです。
その日から姉と私で特別養護老人ホームの見学に奔走しますが、あまりの待機者数の多さに諦めかけたとき、足に障害を持ち独居の父は運良く新設のホームへの入所が決まりました。本来ならば手放しで喜ぶべきところ、親と同居せずにホームへ託したことへの深い罪悪感だけが残りました。

この頃、テレビで「53歳で出産! 58歳!」と最高年齢を更新し、またもや私の「子供欲しい熱」が再炎し、クリニックに電話。「50歳では無理」とハッキリ断られ、ようやく熱から冷めたのでしたが、一旦落ち着いていた鬱が再発してしまいました。

(つづき)

気診体験記

デミのがん体験記 (2)「鬱~顎関節症、尿管結石、父の認知症…続々発症!」

(岐阜県高山市の空 By H.H)

年明け2011年の3月、肺嚢種で緊急入院していた主人の病院へ向かおうとした矢先、あの「東日本大震災」が起きたのです。
マンションの11階の揺れは凄まじく「あ~私は一人でここで死ぬんだ」と覚悟したほどの孤独感と恐怖でした。
20時過ぎ、ようやく主人と電話がつながり安否を訪ねると「ベッドが部屋中動き回った!やっと出たご飯がお新香と塩結びだけだったけど、今まで食べた中で一番おいしかった!」との声に安堵し、思わず私も笑顔に。そう、笑顔といえば「顎揺(・・)る(・)マッサージ(・・・・・)」。
退院しても主人は相変わらずの通院生活。

この頃の私は顎を緩めるどころか、日々必死に噛みしめ続け、顎関節症を発症したのでした。
そんな8月のとある朝、私は得も言われぬ激痛と血尿でのたうち回っていましたが、自身も経験があった主人は「尿管結石だ、病院に行けば大丈夫」と私を残し、定期検診のため病院へ行ってしまいました。私は激痛をこらえ一人で病院へ。
帰宅した私は、定期検診を優先させ私を置き去りにした主人に腹を立て寝室に鍵をかけ立てこもりました。がんサバイバーにとっての定期検診がどれほど大切なものか、このときは理解も出来なかったのです。

やがて季節は秋へ変わり、私の鬱も軽くなり一旦薬を終了しますが、実家で一人暮らしをしていた父が認知症を発症。症状は坂道を下るように進んでいきました。親の認知症は家族にとって辛いものですが、ほんとに辛いのは本人です。昨日出来たことが今日できない。メモを書いても書いても忘れる…。とうとう父は「老人ホームを探してくれ…」と初めて助けを求めてきたのです。
その日から姉と私で特別養護老人ホームの見学に奔走しますが、あまりの待機者数の多さに諦めかけたとき、足に障害を持ち独居の父は運良く新設のホームへの入所が決まりました。本来ならば手放しで喜ぶべきところ、親と同居せずにホームへ託したことへの深い罪悪感だけが残りました。

この頃、テレビで「53歳で出産! 58歳!」と最高年齢を更新し、またもや私の「子供欲しい熱」が再炎し、クリニックに電話。「50歳では無理」とハッキリ断られ、ようやく熱から冷めたのでしたが、一旦落ち着いていた鬱が再発してしまいました。

(つづき)

気診体験記

デミのがん体験記 (2)「鬱~顎関節症、尿管結石、父の認知症…続々発症!」

(岐阜県高山市の空 By H.H)

年明け2011年の3月、肺嚢種で緊急入院していた主人の病院へ向かおうとした矢先、あの「東日本大震災」が起きたのです。
マンションの11階の揺れは凄まじく「あ~私は一人でここで死ぬんだ」と覚悟したほどの孤独感と恐怖でした。
20時過ぎ、ようやく主人と電話がつながり安否を訪ねると「ベッドが部屋中動き回った!やっと出たご飯がお新香と塩結びだけだったけど、今まで食べた中で一番おいしかった!」との声に安堵し、思わず私も笑顔に。そう、笑顔といえば「顎揺(・・)る(・)マッサージ(・・・・・)」。
退院しても主人は相変わらずの通院生活。

この頃の私は顎を緩めるどころか、日々必死に噛みしめ続け、顎関節症を発症したのでした。
そんな8月のとある朝、私は得も言われぬ激痛と血尿でのたうち回っていましたが、自身も経験があった主人は「尿管結石だ、病院に行けば大丈夫」と私を残し、定期検診のため病院へ行ってしまいました。私は激痛をこらえ一人で病院へ。
帰宅した私は、定期検診を優先させ私を置き去りにした主人に腹を立て寝室に鍵をかけ立てこもりました。がんサバイバーにとっての定期検診がどれほど大切なものか、このときは理解も出来なかったのです。

やがて季節は秋へ変わり、私の鬱も軽くなり一旦薬を終了しますが、実家で一人暮らしをしていた父が認知症を発症。症状は坂道を下るように進んでいきました。親の認知症は家族にとって辛いものですが、ほんとに辛いのは本人です。昨日出来たことが今日できない。メモを書いても書いても忘れる…。とうとう父は「老人ホームを探してくれ…」と初めて助けを求めてきたのです。
その日から姉と私で特別養護老人ホームの見学に奔走しますが、あまりの待機者数の多さに諦めかけたとき、足に障害を持ち独居の父は運良く新設のホームへの入所が決まりました。本来ならば手放しで喜ぶべきところ、親と同居せずにホームへ託したことへの深い罪悪感だけが残りました。

この頃、テレビで「53歳で出産! 58歳!」と最高年齢を更新し、またもや私の「子供欲しい熱」が再炎し、クリニックに電話。「50歳では無理」とハッキリ断られ、ようやく熱から冷めたのでしたが、一旦落ち着いていた鬱が再発してしまいました。

(つづき)

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